Running As Meditation #2

Photo by Chadwick Tyler

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Original Article in English by District Vision. (C) All Rights Reserved by District Vision. Photo by Chadwick Tyler. Translated by M.Suzuki, Edited by K. from mokusei publishers inc.


長い会話の第1回目に引き続き、2回目をお届けする。ライター、ランナーのマヤ・シンガー、トレイル・ランナーのリッキー・ゲイツ、そして「ブラック・ローゼス」のランナーであるノックス・ロビンソンが、ランニングと瞑想の関係、ランニングとコミュニティについて語り続けています。楽しいのが一番です。

記:中の人

メディテーションとしてのランニング 第2回

Running As Meditation #2

ランニングは瞑想だ

マヤ: みんなケニアの部族の話に触れますよね。そして彼らがクレイジーな儀式の数々を通じて何かに順応しながら生きているということについて。だけどこのようなことは、実はランニングを通してやっていることでもあるんですよね。つまり、よく耳にする言葉ですが、慣れない状況にもうまく順応しろ、ってやつです(笑)。(順応しようと頑張っているわけですから)私に向かってわざわざそんなこという人がいたらカチンときてひっぱたきたくなりますが、言いたいことはわかります。ランニングに限らず、多くの場合、人生では慣れない環境に順応するスキルが求められますから。

私の思考回路もそう。たとえば走っているときにポツポツ浮かんでくる心の声を録音したら、「腰が痛い、脚が痛い、なんで走っているんだっけ?」なんて考えが9割を占めていると思います。この考えごとは、いわばその時々で体に起きていることの記録です。肩のチカラを抜いて。もっと息をして。なんでこんなに暑いの?なんでこんなに風が強いの?なんでこの人どいてくれないの(笑)?でもいざ走り終わると、そんな考えは忘れています。もはや何を考えていたかすら思い出せなくなっています。

ここまで細かく「今、その瞬間に」自分のからだに起きていることに注意を払えるのって、ランニング以外ではなかなか得られない感覚だと私は思っていて。これって、瞑想の一種かもしれなくて、それも今みんなで話したいなと思います。

つまり何をお聞きしたいかというと、ランニングと瞑想はどんな風に関係しているのだろう、ということです。私は実際にはそんなに瞑想をするほうではないのですが、瞑想についてお二人はどんな考えをお持ちでしょうか?実際に瞑想を取り入れているんでしょうか?ランニングをするための動機付けとして瞑想をとりいれているのでしょうか、またはランニング自体が瞑想のような働きを持つのでしょうか?

リッキー: 自分の場合は、いわゆる伝統的にみなさんがやられてきたような瞑想法については、そんなに長い間やっているわけではありません。どちらかというと興味本位で始めましたね。ちょっと、がんばってみようっていうような競争心が混じっていましたけど。というのも、私の妹のほうが私よりも先に瞑想合宿に参加していて。家族で彼女しか試したことがないなんてちょっと悔しくて、10日間のサイレント・メディテーション合宿に行ってみました。最近では、”ヴィパッサナー”として一般的に行われているようですね。目を閉じて、口を閉じて、1日に12、3時間座り続けるのを10日間連続でやるやつです。

それまでいわゆる伝統的な瞑想法に関する知識はまったく持っていなかったのですが、合宿に参加している間と終えたあとに、実は自分にはわかっていなかっただけで、ずっと何かしらの瞑想をしてきたんだなと気がつきました。みんなだいたい実は何かしらの瞑想をしてはいるものの、それが瞑想である、と気付いていない、瞑想と呼んでいないだけなのかもしれません。

私の場合、ランニングよりもバイクで長距離を走るほうが瞑想に近いですね。ガソリンが切れては給油しつつ2時間近く座り続ける、という行為です。道路を見たり、たまに景色を見たり、うっかり死なないように2時間注意を払い続けたり。できることといえば、それくらい。ガソリンが切れたら給油して、また同じことの繰り返し。あるときはそうして100,000マイルも走っていましたね。

ランニングもいわば同じ感覚です。目標を設定するときもあれば、しないときもある。頼りにできる目印がなくて目標が立てられないときもありますが、大体は目標を設定して走り続けているんだと思います。そういう時は、もう何も考えもせず、自動的に瞑想状態に入ってると思いますよ。私たちはマインドフルでいるほかないから。考えごとや脳や周りの景色に気を配りながら、とにかくいまを走り続けるしかないですもんね。これは瞑想でなくてなんでしょう、という感じです。質問、なんでしたっけ?


ランニングは、そして、パブリックな行いだ

マヤ: 大丈夫ですよ、なるほどと思いました。ランニングはそうしたら、もともと瞑想的なものなんでしょうか、あるいは、走っているとランニングが瞑想のようになっていくものなのでしょうか?ランニングが瞑想であるとすると、それによって何かランニングが変化していくことはあるのでしょうか?

リッキー: あると思いますよ。ランナーとしてある程度の成長を望んでいれば、少なからずマインドフルネスや、走っている時に体がどう反応するかに意識を置いているはずです。ランニングというのは90%の苦痛と10%の至福でできているという話がありますが、ランナーになるということは、どこかのタイミングで痛みを経験するもんだ、とわかることです。その痛みが一生続くことはありません。必ず乗り越えられます。そして、乗り越えた先にあるのが10%の幸せです。それでようやくやった甲斐があったと思える。この一連のことを心に留めておくことですね。うまく言葉にできませんが、そういったことを覚えておくといいんじゃないでしょうかね。瞑想という概念を知っているとランニングの理解も変わるという感じです。

Photo by : Chadwick Tyler

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マヤ: リッキー、あなたは100マイルというとんでもない距離を走っていますよね。あなたにとってそういうレースは結構孤独を感じる時間なんですか?それとも自分は一人じゃない、何かしらのコミュニティに属している、と感じるの?レースを共にする人たちとは、レース終了まで数日は一緒に過ごすことになるわけですよね?100マイルのレースって、一体どれくらいの時間がかかるんですか?

リッキー:一応ですけども、自分はまだ100マイルのレースには参加したことがありません。費やした時間を考えると、100マイルあってもおかしくないレースならいくつか参加したことがありますが(笑)。一番長くて、80マイルです。でもその経験からいうと、ランニングはまずは自分との戦いです。世界が…それこそブラインドを下ろして、耳栓をつけて走っているようなとてもプライベートな感じになります。ウンウンウンと…最初のうちはそんな心かからだかわからない唸りを聞くことになります。でも途中から一点に集中できる瞬間がやってきて、走り続けます。

でも、私はすべてのレースは何かしらのステージの上で行われているようなものだと思っていて。たとえ通過ポイントを通りかかっただけでも、それはランナーにとって自分だけのプライベートなできごとではないと思うんです。フォーカスして走っていることは、その場にいる全員に共有されていくことなんだろうなと思います。走る側じゃなくて、レースを観ているときもありますが、観てるだけでも走っているときと同じくらい感慨深い瞬間がたくさんありましたよ。彼らが走ろう、そうしよう、と思ってやっていることを目にすると、心を動かされるんです。そう思うと、意識していようとなかろうと、ランニングとは走る人も観る人も含めたコミュニティみんなで共有されているパブリックなことのかもしれませんね。


まずはランニングを好きになること

マヤ:なんだ、 80マイルだけなんだったら、興味ありません、なんて冗談です(笑)。

ところで、何かに向かってトレーニングをしているときのランニングと、そうでないときのランニングに違いはありますか?それともどんなランもトレーニングのうちに入りますか?直近でレースを控えていなくても、このような走りがしたいという理想はありますか?たとえば、それに取り組むことで達成したい何かがある、とか。それとも数時間ふざけまわって、見たいものを見て.....きのこでも集めよう…なんてランニングもありなの?

リッキー: どちらとも言えませんね。90%苦痛で10%至福の一点集中型、目標指向のトレーニングをしたことももちろんあります。最終的にこれはマジでやってよかったっす、と思えるようなランニングです。一方で、明確な目標は持っていなくても、森で数時間にわたって走り続けられるように身体を鍛えるのも至福の時間だと思いますよ。それぞれ非常に異なるアプローチだと思います。選べといわれたら難しくて、このふたつは多かれ少なかれ両方アリなんじゃないかと思っています。

でもそれと同時に、ランニングが楽しいと思える時間はあっていいんじゃないかと思います。だって12〜15マイルのランニングに出掛けて、5〜6マイル走っても調子が出ないときって山ほどあります。そんなときは座ったり、寝そべったり、なんでもいいからマインドを変えてみるんです。個人的にはそれでいいと思っています。向かうゴールさえあれば、人はそれに向かって全力を振り絞りますしね。あとは出た結果を受け入れるのみ。自分の限界を知って、できないトレーニングは無理してやらないことも、とても大切だと思います。

ノックス: マラソンの準備なんて6週間もあればできてしまいます。体がある程度鍛えられていて、自分に合った距離のレースさえ選べば、そこまで大きな壁にもぶつからず、ランニングのベースができるでしょう。6〜8週間ほどで体づくりは完了するはずです。

でも、実際にはトレーニングというのはこういうこと、と特定するのって難しいですよね。だからどんな方法でもいいから、ライフスタイルとして追求していくものとランニングをとらえておくのが良いのではと思います。つねに、できる範囲内で、好きと思える程度で取り組む感覚です。週2ペースで走っていれば、つねに身体のコンディションは保てます。週2ペースを維持するのって割と難しいですけどね。ところが週4、5回に変えていけるようになるとかなり安定して仕上がってきます。あとは、そこから積み上げていく感じですね。

ウチのチームに来るランナーはランニングの経験がなくても大きなレースに応募したり、大きな目標を掲げたりします。ボストンマラソンに参戦したくて、週2日程度から走り始める人もいます。でも、急に厳しいトレーニングプログラムを始めたら、体を壊してしまいますよね。

なので、大事なのは、まずは本当にランニングが好きになって、楽しむのがいいと思いますよ。たとえばソーシャルメディアには一切ポストせずに、週何回かランニングに出掛けてみるとか。ええっ、って違和感をお感じになるかもしれませんけど。私も携帯を眺めながら、走ったことを周りに共有しない人なんているんだろうか、ってたまに思います。でも走っていることを誰にも共有しない時代っていうのもありましたよね。ランニングしたあとにミーティングに出てきて、いや全然走ってません、みたいな顔をしていましたもん。ところがいまは、走っていないのに走っているとかってポストしたりするほうが主流です(笑)。トレーニングは非常に細やかな作業ですが、しているかどうかは見ればすぐにわかります。でもあなたの法則を借りていうなら、がんがんやりすぎずに、10%を本気のトレーニング、90%を楽しいランニングにするのがいいかもしれませんね。

(#3につづく)

(Running As Meditation #2了、同#3近日公開予定)

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